ユーモアのセンスと文章

 落語なども今は高校生の修学旅行などのオプションについている場合もあるようだ。 思いきって参加してみるがいい。この前8月に東京にいって、あんみつを食べるに浅草に行ってきたが、古典落語などは浅草の舞台でも行われているようだ。 落語は図書館でも一コーナーにまとまってある。 笑みの磁場を起こさせてくれる文章は読んでいて 小気味いい。

  そこで自分も名人の落語本を借りてきて読んだが、頭が悪いのかどうか 読んでいて何が面白いのだと思い、再度読み直してみると ああ 自分は単に教養がなかったのかな と 自分で恥じ入ることがある。

 これがサザエさん、まさし君などの4コマ漫画だったら結構 スーートと 笑みがほっぺに伝わるのに・・・。

 文章を書くに当たって 人に笑みを起こさせる力というものは 簡単なようで 難しいものである。
経験か それともその人の特性か これは文章 それ以前に その人の話からしても出てくるものである。

 客観的にものを見る力に本質を見抜く力の両方が必要なのかな。

  精一杯体で生きている人はその人そのものが笑みの振動の源になることがある。

 チャプリンは喜劇で笑ってくれないほど惨めな気持にさせてくれるものはないといっていた。笑わせよう笑わせようとして 文章をこねくり回すよりも数多くの複数の異質の空間(いろんな経験 いろんな分野の本を 読書をしてみる。)を自分が一生懸命飛び回ってそこで自分を忘れて生き抜いた人の話にはどうやらユーモアの力が発生するようだ。 これはたとえば自分と生き方が違った人生をあるいている人を単に生き方 性格が異なるからと 離れてゆくのではなく。 まずはその人にしてみればという、相手を認めてみる寛容さとでもいう心があれば、相手も振り返ることもあり、笑みの磁場も生じるであろうということである。

 それは自ずと文章にも現れてくる。 読書感想文の中に笑みの香りを出せるようだったら、読者はその人のかいた読書感想文などの文章に一目置くであろう。

 亡き三平師匠の笑みの振動を今一度 思い出す自分である。
posted by hosi at 18:46 | 東京 ☀ | 読書感想文