読書感想文と学生の個性的な服装と人生

アメリカの教育において、子供たちを教育にするにあたって、質問を行うとき、学生が定型的な答えを出した場合、あまり評価はよくないという。

 日本では、模範とする定型的な、型にはまったそれでいて美しいものを範とするが、これは日本が学生服、セーラー服という型にはまった服装をよしとするのに対して、アメリカはこだわらないというところがある。読書感想文もそれに似ている。

 君達(小学生・中学生)だったら、大人になって、恋愛などもすることであろうが、日本は見合いという型にはまった、結婚が多い。(お見合いで結婚することのいいところもあるが) また、離婚は悪とまでは行かないが罪の意識をおこさせるという雰囲気が社会にはある。アメリカはそんなこと(お見合い)はあまりとらわれないで結婚する。フランスでは結婚しないで同棲が多いと聞いていたがいまはどうか。

 日本は一生を通して一つの職業を貫き通すことが美的であるという感覚があるが、アメリカは若いときは2-3度職業をかえてみて、自分にあった職業をあとで決めてもそんなに世間からとやかくは言われない。

 つまりは、読書感想文を書くに当たってもあまり型にとらわれては欲しくないのが自分のいいたいところだということである。

 確かに、俳句、川柳、短歌などなど 字数が決められている。 文学作品はその中でまとめるという美意識はあるのだが、どうだろう、君達は心のなかで文字にならない心(マインド)を持っていたとしても、それらの鎖のために、文章をかくこと 文字で心を表すことをあきらめてしまう子供たちがかなりの割合でいることを忘れたくないのだ。確かにモーツアルトの音楽にしろ、数学にしろ、基礎教育をしないと育たないというが、僕がいっているのはそれ以前のことである。

 これはネットなどの情報の氾濫によって(これもある意味では自分以外感情の情報)自分を見失っている都会の子供たちよりも、そういうものの環境にいない田舎の子供たちが自分の感情を創造的に広げることが可能である所以(ゆえん)でもある。 すべてとはいわないが・・・。

 読書感想文を書くということは、人生を描くこととも関係していることをお忘れなく。どちらが魅力的かは君たちが決めることであろう。
posted by hosi at 06:32 | 東京 ☁ | 読書感想文