参考書というもの
確かに昔は教科書を中心にやっていれば、参考書は要らないものであると先生を中心にいって、またみずからもそれを信じ
あまり参考書は購入しなかった。しかしながら問題集、参考書もあれば、ものの本質を別な角度から
眺めさせてくれることによって、あっていいものなのではないのではなかろうかと最近は考える。お金はかかるが。
特に数学なんぞ、物理、化学の受験に関してはパターン化して暗記してしまうことが重要ではないのではなかろうか。
今こうして、自分が独学で量子力学に入ってゆくにしたがって、高校生の受験用の問題集のまとめ方が非常にためになることがあり
感心させられる。教科書の問題というものは、どうも受験には向かない。手っ取り早く数学なんぞの点数を上げたかったら、
その分野の難問といわれる問題を理解して、紙と鉛筆で15回ぐらい繰り返し最終回答まで自分で書けるようになることである。
なぜ、難問と呼ばれるものかいいのかというと、そこにはエッセンスの糸口がぎっしりと詰まっているからである。回数を繰り返すうちに
自分の脳がひらめきの糸口の匂いを敏感に嗅ぎ分けることができるということである。
石頭といわれても最初はそれでいい。ガウス、ランダウなどの天才性が早くから出る人も居ようが
才能が開くというのは運でも有り、少数の確率であるからにして。あまり気にせず若いうちは難問を解くというよりも、難問を理解しそのパターンを理解することである。この場合安っぽい問題の多くに手は出さなくていい。
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