大学受験

息子が大学受験の高校三年生ではあるが、あれをせい、これをせい
とは言わないことにしている。息子は息子なりの人生観があり、職業観も
あるではあろうからと考えるのは、身勝手な親の考えではあろうか。
 ただ、親としては普通の大学に入れて、職業というものをもって、慎ましやかにでも
人生を送るのをは、見届けたいものではあるよ。自分は受験校を卒業はしたが、身体を壊し、まともに授業は受けられなかったが、現在職業は、もってはいるが、果たしてフィットしているのかと言われれば、これまた疑問にも思ってしまう。食っていくためには
致し方ないから、子供達を食べさせていかなくてはならないからしている毎日でもある。本当の学問は、自分のしたいことを気ままにやることではあるとは考えてはいるが、現実に先立つものがお金である。あそこを受験してみたいと思えば、借金してでも受験させてやりたいものではあるよ。子供にとって、一番太い 親の与えるものは、親の背中を見せることだという諺もあるが、このやせ細った、背中を見ても子供にとって、いい意味での影響は与えているのであろうか疑問に思ってしまう。毎日、あー疲れたといっては、風呂上り、ビールを一気飲みして、大文字になって寝てしまうこの親から、学ぶことがあるのであろうか。
それではいけない、子供の受験のことをと考え、トイレに書店から購入してきた英語の熟語の入った文章を少しばかり、受験の足しに、補完にでもと考えコピーして、貼って、目をくばらせてくれて、ためになればと思って期待はしているが、かえってその反動があるのかも知れないと最近は考えている。英語の実力は単語力も実力のひとつではあるではあろうが、今こうして50年も生きてくれば、何でもそうではあるが、全体的に系統立てて、考えながら読んでいったのが一番、身体にしみて記憶に残っている。当初は赤尾の豆単、大学受験に良く出る英単語などの本なども売れに売れたが、ある英語の権威者によれば、行間を読む力がこれらによってなくなったとも言われているが、しかしながら受験生にとってみれば、とりあえず こころの安定を目指し受験に受けることをまずもって考えるであろうから、彼らを攻めるわけにも行かない。古典も文法などが大切といわれているが、それはそうではあるが、最終的には、人のこころ、自然への造詣の深さをしみじみ感ぜられるようになるのが理想ではあるよ。医者、学者、社長、弁護士などなど親が決めた理想の職業観があるが、ある意味では、それらは、本当の目指すところではなく、それらは単に手段であることに気がつくのは、まだまだ先の話なのであろうか。今日も数学と書籍をカバンに入れて、駅の汽車の来る間の空き時間に考えて読むのを楽しみして職場にいこうとしている自分である。
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posted by hosi at 06:17 | 東京 ☀ | Comment(0) | 読書感想文