「遠き潮騒:逸見晟遺歌集 」 十和田湖周辺

小生は 日本で自分が言うのもなんだが、青森県の奥入瀬渓流を散歩するのが一番好きである。先日紹介した。        「遠き潮騒:逸見晟遺歌集  」 著者等     逸見 晟著  逸見 奈保子編   


の 小生の十和田湖周辺を読んだ この本の中の短歌を紹介しよう。


○ 奥入瀬の渓谷を埋めてひそまれる落葉の道をわれひとりゆく

○ 猿倉のいで湯の宿の湯気たちて雪の回廊けふよりひらく


○ 十和田湖の上空にしていましがたひかりを曳きて、流れ星墜つ 

○ 十和田湖の氷の視界染めながら外輪山に陽は沈み行く

○ 十和田湖のかなたの空に 燃ゆる陽の沈み終えたる静けさにゐる

○ 大滝の飛沫が霧と立ちこめて紅葉づる谷の昼を暗くす

○ 蔦沼の水面をときに魚跳ねこはまぼろしと思うたまゆら

○ 蔦沼にをりをりの風すぐるとき岸のもみじが水に舞落つ

○ みづうみに降りこし時雨岸に起つ裸像の膚を濡らしそめつも

○ たたなはる八甲田上空の夕雲を太陽光が金にふちどる

○ みづうみにおらぶ吹雪の去る季を二人の乙女囁きゐむか

○ 八甲田雪の回廊の開通日抜けるがごとく空蒼く澄む

○ 沼巡めぐる橅の樹海のみどりよりなお濃き蔦の沼の水いろ

○ 冬に入る奥入瀬の谷ひとりゆく古びしカメラひとつをさげて

○ 渓流にそいて一万四千歩 片時ながら歩み終えたり

○ 八幡平の雪の回廊を廻りきて硫黄のしろきいで湯にひたる

○ 訪ふ人もまばらになれる十和田湖の素顔を見せる冬は来向ふ

○ 八甲田は錦の屏風いろどりのきのふとけふのわづか変わりぬ

○ 奥入瀬を歩めと言いし歌びとの 桂月翁の墓も古りたり

○ 樹の陰に渓流描く人おりて 秋の夕日の暮るるを知らず

作者は寺山修二と東奥歌壇で作品を競い合った一人であったそうだ。ここに掲げたのは1万首のほんの一部であるときいている。

 青森県なら 主なる図書館で貸し出しができるときいている。






 草わらを駿馬に乗りてただ一騎点となるまで駆けてゆきたし


大町桂月は 十和田湖を以下のように評価した。

この行、日を費すこと十八日、東より西へかけて、奥羽を一周したり。川は、阿武隈川は、之をわたりぬ。北上川は、其上流を見ぬ。最上川も見ぬ。山は南部富士の称ある岩手山、津軽富士の称ある岩木山、鳥海山、月山、いづれも奥羽第一流の名山也。就中(なかんづく)、鳥海山ひとり群を抜いて高し。奥羽の山の王也。

 されど、余の主とせるは、十和田湖の勝を探ぐるに在り。こゝに、十和田湖の勝景の大要をあげむに、『山湖』として、最も偉大なること、一也。奥入瀬の渓流の幽静、天下無比なること、二也。湖の四周の山ばかり樹のしげりたるは、他に比なきこと、三也。紅葉の美、四也。中海の断岸高く、水ふかきこと、他に比なし、五也。諸島みな岩にして、松を帯びたること、六也。奥入瀬の本流支流に、高きは松見の瀧、広きは根の口瀧を始めとし、見るべき瀑の多きこと、瀑布多しと称せらるゝ日光、塩原などの比にあらざること、七也。その他、自籠神社の危巌、御倉山の千丈幕、御門石、畳石、碁盤石、雅俗とりどりに趣味あり。げに、十和田湖は、風光の衆美を一つに集めたる、天下有数の勝地也。
 余は、十和田湖に遊びて、四通りの路を経過したり。小坂よりの路と毛馬内よりの路とを取らば、湖の一部を俯瞰するを得べし。されど、十和田湖より奥入瀬渓を取り去らば、十和田湖の勝は、その一半を失ふべし。且つ三本木より奥入瀬渓を経るの路は、最も平坦也。余は、天下、山川を愛するの士に告ぐ。必ず往いて十和田湖を見よ。往きか、帰りかには必ず奥入瀬渓を過ぎよ。同じ道を往復するを好まずは、小坂か、毛馬内か、いづれを択ぶとも、さしたる差別なし。大館より小坂銅山まで軽便電車のひらくること、近日のうちに在り。小坂より湖畔までは、凡そ四里の程也。後の遊者は、この利器によりて小坂より鉛山に来り、たゞ休屋附近を見て、奥入瀬の勝(しよう)を閑却するもの多かるべし。惜むべき也。
 この度の遊行のくはしきことは、別に稿を起し、百穂の画を添へて、一冊子となさむとす。こゝには、たゞ大要を略記するだけ也。
 終に臨みて、余は余を導きたる春汀に感謝し、併せて、余にいろいろの好意を寄せられたる三戸、上北二郡の諸人士に感謝する者也。


posted by hosi at 05:19 | 東京 ☀ | 読書感想文