竜飛岬の国道

誰だって、気分の乗らないときや調子の悪い時、尽いていない時 はあるもんだ、そんなとき こんな悪魔が心を誘うものが、どうでもいいや、どうせ私なんか、俺なんか、と そこなんだよな。

 こんな時、どうするか知っているか。こうするんだ。「確かにそうであろう。大変だよな。どうせ くん 時の流れにしたがって一緒にやっていこうではないかい」

 その時の流れとは、この際、思い切って軌道修正するでもなく、上でも下でも重いでも軽いでもなく、しょげるでもなく、舞い上がるでもなく、変化することなく、従来の基本のやり残した業務を単純にコツコツやる、成績が芳しくない学生であるならば、模範解答をただ模写してみる、現代良寛ならば、ちょっとし散歩してみる などが いいのだ。 と 50年以上生きてきた人の経験だ。結果を求めない事である。


『天高く階段国道登りゆく』 宮崎


という地元の新聞の朝刊の句があったが、 今頃の竜飛崎は冬に入る前のやや肌寒い季節になっている事であろうが、そこにも国道があり、以前いたっとき、これでも国道か と 思ったときがあったが、自分もこうして生きてきたのだから なんだかんだといっても 国道人間に変わりは無いのだと思えばいい。単に生きているだけでも立派なものであると。

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posted by hosi at 06:36 | 東京 ☁ | 読書感想文