ハロウィン

ハロウィンとはなんぞと、前々から考えていたが、調べてみるとケルト人の祭のようで、彼らの1年の終りは1031日だそうな、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていたようだ。これらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。601年にローマ教皇・グレゴリウス1世が宣教師にケルト人へキリスト教改宗の策として、「ケルト人の信仰法である木の伐採は行わずに、木の真上にはキリストの神様がいてそのために木を信仰し続けなさいと広めなさい」と言ったのがいまのハロウィンになったきっかけでもあるようである。これに因み、31日の夜、カボチャ(本来はカブ)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン 」を作り、魔女やお化けに仮装した子供達が近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート(Trick or treat. ご馳走をくれないと悪戯するよ)」と唱える。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちは貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする。お菓子がもらえなかった場合は報復の悪戯をしてもよいとされていたようだ。しかし、以前だったが、アメリカに留学していた日本人が近くの家をハロウーンだということで廻ったら、怪しい人だという事でそこの家の人に射殺されたという事件があったが、本当の死者になってしまってはどうしようもない。ハロウィンではしゃぐのもよく状況を分かってからのが、いいのかもしれない。さて、さて、人生は楽しまなければいけないのは歳をとってくると感謝しながらということになってくる、なぜかといえばもう50歳も過ぎると人生後半であるからである。昨日読んだ本の中に「ユーモアは老いと死の妙薬」(死生学のすすめ) 上智大学教授 アルフォンス・デーケン 著 の本があったが、死を深く考える事は逆にいかに生きるかという事を我々に考えさせてくれるという事の内容である。人生には笑いというものが無ければいけないと説く。日本人だから仕方が無かったのではないのかと反省している御仁もあるであろうが、学業、会社の成績業績向上と数字の向上に惑わされ、そして本来の我を忘れ、例えばヨーロッパ人は日常の仕事を5時できっちり、残業があろうと家庭に帰って皆で食事をする事に価値をおく彼らの行動に対して日本人は蔑視してきたが、しかしながらこの価値感覚は本来の姿であって、決して日本人が優秀でヨーロッパ人が優秀ではないということに疑問を持つようになった。考えてみればこの膨大な宇宙で、たまたま産み落とされて生きている自分の生命が、何の縁あってか、母と父と兄弟が子供がいる。考えてみれば何かとお世話になってきたし、なっている。「有り難い」とはこのことだ 感謝だよな。

 「老化も死も、生命体の必然的な自然現象である。自分が必ず死ぬ存在だという認識に立てば、誰でも「生きている」時間の尊さに気付き、少しでも、意義のある人生を送りたいと考えるのではなかろうか。人にはそれぞれ個性があり、それなりの死生観がある。私は自分自身の追いも死も、ユーモア感覚で受け止めて、最後まで笑顔と感謝を忘れずにいきたいと願っている。」と冒頭に記してあった。      ハロウィンか・・・・。
posted by hosi at 04:47 | 東京 ☔ | 読書感想文