。「論語よりダンゴ」山崎章二 著 感想文(2)

論語と言えば硬いイメージであるが、この本の「論語よりダンゴ」読んでいると

論語のような何か大切なことをもそれとなくで教えてくれているようだ。今の若者に対しても語っている、こうあったほうがいいというようことを、気さくな形で・・。

いま、被災地では若者がモランテアを一生懸命やる姿が美しい神戸の地震もそうだったが中年から見れば見上げたもんである、しかしながら、オウームの事件での若者もある意味では一生懸命になる 空間が欲しいからそうなったのだと説く、そうかもしれない。いわゆる 今の若者は自分が一生懸命になれるものに 飢えているのであろう。

 小生もかもしれない・・・。しかしながら、著者はそれに対する社会体制が整備されていないと説く、もっともかもしれない。著者は昔の人だから、丁稚奉公のシステムを作り、番頭に昇格し、先々は のれんわけまでいった時の喜びは 若者の求めているものを満たしてくれるだろうと説く。しかしながら 小生に言わせて見れば、いまでの社会的、物理的に無理と言うものである。さすれば、いい意味で、他人に害を及ぼさないで自分を一生懸命にさせるものを見つけるしかないのが今の若者のやるべき姿なのかもしれない。そのための手段として、いろんな芸術、交流、読書、坐禅、旅行、内観などなどにふれ、自分発見の糸口を多々作成しておくことではないであろうか。他人になんと言われても自分が其処に宗教を感ずるものを・・・。「論語よりダンゴ」山崎章二 著 の読書感想文のパクリ的悟りである。

posted by hosi at 04:57 | 東京 ☁ | 読書感想文