生かされる 命をみつめて  五木寛之 著

昔 祖母が生きていたころ 孫たち 俺たちのことなんだが 「かなしくて」ね とよく 言っていた。子供にすれば なんで? むしろ「楽しい」ことなのでは・・・。と子供心に可笑し味を表現はできずとも感じていた。そして 歳があがってくると それは かわいくて 愛おしい という 意味に近いということを感じるようにもなった。そして、大きくなって 祖母に対し 若者の生き方を束縛するような余計な行動、言動に反発し時には祖母に怒りを覚えて 乱暴な言葉を吐いたこともあった。ましてや歳がいって体の十分な動きができなくぼやくことが多くなった時にも・・・。反省である。確かに 今の東京などの都会では 生きるスピードが若者ペースでないと とてもじゃないが 生きてはいけない 仕事現場である。老人の心を背負って そして生きるということは かなりの精神の太い柱を持っていないと。タフでないと。五木寛之はこの本で 「「悲」というのは「頑張れ」とは言わない、「希望を持て」とも言わない、何も言わない。そういうことではないか。その人のそばにいて、その人の顔をじっと見つめ、その人の声を聞き、その人の語る言葉に黙ってうなずき、そしてその人の手の上に手を重ねてじっとしている。時には黙ってため息をつく。そして、相手の痛みが自分の痛みのように感じられ、思わず涙ぐむ。これこそが「悲」という感情だと思います。」

とあった。医療関係で仕事をしていると 癌の末期の患者に接するとき、患者は何を望んでいるであろうか。自分に残された時間は少ないことはわかっている。そんなとき 頑張れといわれても どうしようもない。という講義を聞いたことがある。 そんなとき 痛いですか 苦しいですか、寂しいですか と感情の 同調のパイプをつくり 自分がその感情水の一部の池になることなのだそうや。患者も 延命を期待してはいない。ただただ わかってくれということである。
都会で暮らせば ぼやきなんて 聞きたくはないよ!と一括の場面がおおいであろう。しかし、それを受け止めるということなんだろうなと 「悲」ということは。とこの本を読んで 知った。今の時代 「慈悲」のうち 「慈」はよく知られて いるが、むしろ「悲」の方が大切なんだと 著者は説く。






posted by hosi at 07:26 | 青森 ☁ | 読書感想文