新涼と敗荷(やれはす)



もう9月になってしまった。朝に起きて 女房に茶をいれておく。 今日の職場の弁当作りのねぎらい行為である。一種の予約保障である。

この季節 新涼というんだろうか そろそろ茶がおいしい季節がやってきた。茶は渋くて甘くなければと やはりうまくない。

じっと 八甲田方面の山をみて ああ、この季節 八甲田の秋に浸りたいものであるなと 津軽の薄い朝焼けをみて茶を啜りながら思うのである。

蓮が枯れるというのを 敗荷(やれはす)という。まだ その時までは 津軽の風景ではやや時間があるがこんなに時が早く回るので そんなに遠くなく それは見られるであろう。それを 八甲田の沼なんかで見られるであろうか。

自分もこの歳になるまで何とかかんとか 生きてきた。そして今。 いや 生かされてきたというのが正しいだろうか・・。


「敗荷はわが人生よ沼肥やし」 読書感想文のパクリ主

今、岩木山の山麓で嶽キミ販売が盛んである。店の前では客とのやり取りする人、店の中ではキミを茹でる人、店の裏ではキミの皮を剥ぐ人、その後ろでは畑でキミをもぐ人がいた。自分は店の裏ではキミの皮を剥ぐ人かなとと津軽の山をみて感じた。


posted by hosi at 06:03 | 青森 ☀ | 読書感想文