針供養

最近のニュースを見ていると 同情するというか 何かこう 自分でも起こりそうな気がすることが多い。人間というものはその場に立っていれば そんな環境に置かれれば ついつい ということも起こるときもあるであろう。いや、起こっているものであると思う。 種類は違っていても 遊びにも似通った遊びもあるし、子供であれば戦争ごっこだってあることはある、女性を色目で見るなといったって聖人以外には無理であろうし、それは人間の性であろう。あやめる人 あやめられる人 そして裁く人はあるが、人である限り 生きている限り 緩んできた心をいさめて 運悪く不幸に落ちてしまった人も そこから心を堅くして 徐々に這い上がっていけばいい。誰とて 心の中では苦い経験があるののだから・・。仏教書などを 論語などを常に右においておき、撫でて生きてゆくのがいいんであろう。昨日 明日の俳句の季語は何にしようか迷っていたが 「針供養」という春の季語があった。一度も針を刺さずに裁縫ができてきた人がないように チクリ チクリと 時に痛みを伴って 生きて行くのが、生かさせてもらっているのが人であるんだろうと思うんだ。


「幾万回 刺して縫いしや 針供養」




「針供養 祖母の使いし 細き友」




「合せ着は 縫いし結晶 針供養」





posted by hosi at 04:42 | 青森 ☁ | 読書感想文