おしんの作者の橋田寿賀子さんがなくなったが、彼女の書いた本の中で印象に残ってゐることがある、何も小説作品とかいうものではなく
自伝である、彼女は確か ユースホステルの会員であって、いろんなところへもいったとか、その時 お金がなくなれば そこにいったユースホステルの場所でいろんなことを手伝って ホスト側にまわって働いたとか・・。そんな見聞と逆の立場から ものを見るめが深く 肥えて行ったんだろうなとも思った。作品が売れて 豪邸を建てても こうして歳とってみると 2つ程の部屋で生活できる 生活では最低限のものがあれば 小回りきいて生きやすいは といっていたが、同感である。 人の満足は 社会に貢献することだとも よく本から聞くが
まあ、質素で 何か仕事もして 自然に溶け込むように生きているのがいいのであろうか・・。晩年の彼女の発言には ここまでやりたいことをやれば いつ迎えが来ても 死は怖くないとかも・・。ああ、そんな境地に自分もなりたいのだが・・。
介護施設で働いていて、老人たちの医療面で
援助しているが、家族や孫が顔を殆ど出さない人たちもいるが せっかく長生きさせようと頑張ってゐるのに 何か満足させていないような気持がある。ロボットのAIで入居者の心を満足させてくれるのはできんものかと思うが、小生の考えてゐるロボットというのは話を聞いてくれて
その人の存在を その人に感じさせてくれるロボットである。しかしながら オームのような型通りの返事を沢山ロボットに覚えこませて
それを発するのではなく、例えば その人の伝記を覚えさせて その人ならではの情報から発するロボットであり、時勢や天候によって 想像 創造を散りばめてのお返しの言葉を変化して学習して発する ロボットである。単にロボットいえば 所詮型通りを多くしたに過ぎないだろうと感じさせない、自然の神秘的なことをことを原点として その人ならではの 受け取ることのできる感情の言葉を発するロボットができればと切に願っている今日この頃である。たとえば施設に入る前に 写真から経歴からすべて集めて 自伝なるものを作ってくれる 商売があったら それを 著名人の伝記のごとく ベットに置けたら それも老人たちの満足になるとも思うが・・・。蒲公英や 図太く生きて 座頭市
posted by hosi at 05:11
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